石川啄木が愛した盛岡天満宮の狛犬
学問の神、菅原道真公をまつる盛岡天満宮の丘は、その昔、天神山と呼ばれ、啄木お気に入りの散策と読書の場所でした。ここに独特の顔とフォルムをもった狛犬一対が鎮座しています。これは市内上小路に住んでいた高幡源次郎が制作して明治38年(1905)に奉納したもので、当時は地面に据えられていました。これに子供達が木馬のように乗って遊んでいたことが推測でき、その光景を見た啄木が「石馬」と呼んだようです。この狛犬について、啄木は、小説「葬列」の中で次のように描いてます。
「俺は生まれてから未だ世の中といふものが西にあるのか東にあるのか知らないのだ、と云った様な顔だ。」
さらに、自身が発行した文芸誌『小天地』に発表した「公孫樹(いちょう)と題する十首の中で、次のような二つの歌にしたためています。
夏木立 中の杜の石馬も汗する日なり君をゆめみむ (天満宮拝殿に向かって右 阿・あ)
松の風夜昼ひびきぬ 人訪はぬ山の祠の 石馬の耳に (天満宮拝殿に向かって左 吽・うん )
南部鉄器 狛犬は平成18年(戌年)に啄木生誕120年を記念して作られました。
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