大気の中にすむレンズと発光する網膜」これが素材とデバイスを手で触れ思考し最終的に得られたモデルである。光を発することと光を吸収することがエネルギーのレベルでは同じ論理の中で成立している。
このような発光の原理を覗き込むと見えてくる事柄が客観的な事実を超え、想像を膨らませる元となった。ものを見るという視覚現象ではどうだろうか? 光の終点である網膜が意識の始点であることも、あかりが意識の受容器であるということも、このモデルの周りを回って発せられる独り言のようなものである。
発熱の少ない光は遠くから送られてきた光のようにも見える。動的に力強く放たれた光というよりは、意識を吸い込むような静的な光であると言える。このような特徴を持つ光を読み取って、大気中に軽く浮遊するレンズ形状の光を拡散する透明な領域と薄い複眼のような発光部を組み合わせることで独特の存在感を創り出せないかと発想した。既存の発光体では表現しえなかった軽さと脆弱さを強調し、素材がより純粋な現象として見えるようなギリギリの構成とした。基本的にはあまりプロダクトとしての照明器具をつくっている意識はなく、モノをはみだして伝えられる部分をなるべく多く引き出したいという意志が先行した。モノを作りながらモノを超えたレイヤーで思考し、光や大気、意識に近づこうとしている気もする。そこには、手では触れることの出来ないもうひとつ別のリアリティがあり、その輪郭が光のかたちと呼ぶべきものなのだろう。 |